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合気道と言霊 その2

2015/06/07/(日)

 縄文時代は約1万2000年前に始まり2400年前まで続いたとされています。佐賀にある吉野ヶ里遺跡は弥生時代(前4―後3世紀)の遺跡です。2.5劼粒姐蠅めぐらされた環濠集落は足を運んで実際に見ると、かなり壮大なもので、出土品などからみても文化の程度も進んでいたように感じます。ここに住んでいた我々の先祖は、どんな精神世界を持っていたのでしょうか。現在の我々の持つ文明の利器は持たない代わりに、ゆったり流れる時間の中で自然を感じ、人の心を感じ、精神世界は我々よりむしろ豊かな部分があったのではないでしょうか。衣・食・住が足りている状態で、テクノストレスも、お金の心配も、失業の心配もない日々を想像してみて下さい。

縄文時代の有名な遺跡に青森県三内丸山遺跡があります。ここも実際に見て感じると、偉大さがせまってきます。直径1mを超える太さの栗の木の柱を組んで立てた建物を何のために造って、どう使っていたのか、衣・食・住に直接関係しないなら、精神世界、宗教的な営みに関係していたのだろうかなど興味はつきません。食も鯨や鮫まで食べていたことを示す骨が出土しており、漁労の技術も進んでいたようです。このような期間が1500年間も続いていたと推定されています。新潟県長岡市などで出土している縄文土器の火焔土器を見ると、縄文人の精神世界の豊かさが感じられます。人間が高度な精神生活を集団で営むには、情報の伝達が必ず必要です。縄文時代には文字がなかったというのが、学界の定説のようですが、これに大きな一石を投じているのが、池田満氏の一連の著作です。興味のある方は池田氏のホツマ辞典(展望社刊)、「ホツマツタヱ」を読み解く(展望社刊)などをお読み下さい。私は池田氏の一連の御著作を読了して、なるほどうそうだったのかといたく納得しています。古事記も実はこのヲシテ文字で書かれていたことが池田氏によって証明されています。日本に漢字が入ってきて、表記に使われて残っているのが万葉仮名です。これは漢字を意味ではなく音を借用して書き記したものですが、現代人の目からは不自然に見えます。ここからは一部推定が入っています。

なぜ古代人はヨシテ文字を捨てて、漢字の表記を採用したのでしょうか。 それは中国より文明と社会制度を輸入して、国家体制を創るには、漢字の方が有利であったから、また表意文字である漢字の方が多くの情報を運べたからだと思われます。では縄文・弥生と続いてきた日本語をすべて捨てたのかというとそうではありません。古代日本語は、漢字の訓読みとしてちゃんと残しているのです。また大和言葉としても残っています。つまり日本人の脳の言語宇宙は漢字と大和言葉より成っているのです。「ひらがな」、「カタカナ」が漢字を略した形状で成立しており、漢字かなまじり文で表記する日本語の表現形式が確立して、今日まで続いているのです。言語学的研究は私の守備範囲ではありませんので、そこは専門家に任せて、合気道と言霊の話にもどります。

ヲシテ文字を読み書き、読み書きしていると、つまり漢字を一切使わない作業をしていると脳に微妙な変化が感じられます。またヲシテ文字を口に出して唱えるとさらにその感じは強くなります。私の経験でいうと、密教のマントラを長時間唱えた感覚に近いものがあります。密教のマントラはチャクラを覚醒する作用があるのですが、それはそのうち書くとして、ヲシテ文字を口に出して唱えると脳にダイレクトに効くのです。これはおもしろい。

病気治し、健康増進に使えるかもしれないと、研究をはじめました。すると驚くべき効果が生じることがわかったのです。(つづく)